2008年03月28日

原子価結合法の形式

こんなに身近な事もこのように考えれば本当に面白いのだと初めて気が付きました。


原子価結合法(げんしかけつごうほう、VB(Valence Bond theory)法)とは化学結合を各原子の原子価軌道に属する電子の相互作用によって説明する手法である。

ヴァルター・ハイトラー(Walter Heinrich Heitler)とフリッツ・ロンドン(Fritz London)によって1927年に水素分子のエネルギー計算の方法として提案された方法を基として、ジョン・スレーター(John Clarke Slater)とライナス・ポーリング (Linus Carl Pauling)によって多原子系に拡張された方法である。そのため、ハイトラー・ロンドン・スレーター・ポーリング法、略してHLSP法と呼ばれることもある。

分子軌道法では電子は分子全体に非局在化した軌道に属すると考えるのに対し、原子価結合法では電子はある1つの原子の原子軌道に局在化しているものと考える。

すなわち水素分子の全電子の波動関数は Ψ(1,2) = c1φHa(1)φHb(2) + c2φHa(2)φHb(1) という形になる。 φHa(1)は水素原子Haの1s軌道に電子1が属している状態を表す。

(対して分子軌道法では Ψ(1,2) = c1ψ1(1)ψ2(2) + c2ψ1(2)ψ2(1) という形になる。 ψ1(1)は分子全体に広がる軌道でそこに電子1が属している状態を表す。)

しかしこの方法を第2周期以降の元素を含む分子に応用すると問題が生じる。例えばメタンの4本のC-H結合が等価であることを説明できない。なぜなら、電子が原子軌道に局在化しているならば、炭素の4つの価電子のうち1つの電子は2s軌道に、残り3つは2p軌道に属することになり等価でないからである。そこで分子を形成する際には2s軌道と2p軌道が混じり合って再分配され新しい4つの等価な軌道を生じると考える。この新しく生じた軌道が混成軌道と呼ばれるものである。メタンの場合s軌道1つとp軌道3つが混成軌道をつくるのでsp3混成軌道という。エチレンの炭素原子のように二重結合を持つ原子ではsp2混成軌道、アセチレンの炭素原子のように三重結合を持つ原子ではsp混成軌道を考える。

また、1,3-ブタジエンやベンゼンのような共役系を持つ分子についても問題があった。これらの分子ではπ電子の非局在化が安定化に寄与している。これは各原子に電子が局在化していると考える原子価結合法と本質的に矛盾している。これに対しては複数の極限構造間の共鳴という形で説明することになった。

原子価結合法の概念はそれまでの化学結合論の延長上にあるため当時の化学者に受け入れやすかった。しかし量子化学計算に応用するには複雑な理論となってしまった。そのため量子化学計算が盛んになってくると分子軌道法が主流となっていった。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年02月06日

被子植物門の進化

このように日常的になるには時間がかかったのですね。

これは実習に役に立ちそうです。


一般的には最初の被子植物は、1億4000万年前(ジュラ紀)に裸子植物から分化したとされているが、もっと昔の三畳紀に分化したとする説もある。(サンミゲリアは外見が被子植物に似ているが、真の被子植物かどうか定かでない。またシダ種子植物のカイトニアは心皮が胚珠を包む傾向があり、これらが被子植物の起源ともいわれる。)現在確認されている最も古い被子植物の化石は、ジュラ紀から白亜紀に入る頃のアルカエフルクトゥスとされており、これは水中生活に適応して特殊化したともいわれるが、まだ花がコンパクトにまとまらず1つの枝のように見える。被子植物は、白亜紀以降、繁栄の時代を迎えた。
 被子植物の系統樹における、(各枝に現存種が残っているような)最初の分岐は、主系列からのアンボレラ科の分岐である。続いて、スイレン科、シキミ科、マツブサ科などが分岐した。その後、単溝花粉型植物群であるところの主系列から、三溝花粉型植物群が派生する。この三溝花粉型は、近年の分類学上で、真正双子葉類と呼ばれる一大分類群である。この後、主系列は、単子葉植物群を派生させる。残った主系列は、モクレンに近縁な種で古い形質を残した種とされる。

顕花植物のうち、一般に花と呼ばれる生殖器官の特殊化が進んで、胚珠が心皮にくるまれて子房の中に収まったものをいう。そのため被子植物と呼ばれる。心皮が発育して果実となる。 もう一つの分類群は裸子植物と言われ、これは胚珠が子房にくるまれておらずむき出しになっており、果実も作らない。被子植物は、裸子植物的祖先から、胚珠を保護するために大胞子葉がそれを包み込み、雌しべとなって密閉したものと見られる。これによって花粉が直接胚珠に触れることが不可能となり、花粉は雌しべの柱頭に着き、ここから胚珠まで花粉管をのばす形になった


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年12月26日

諸色の真実

もう忘れちゃったよ。
思い出しながら、しらべてみました。


諸色(しょしき)とは、江戸時代において物価を指した言葉。一般的には米を除いた日常品の価格を指す場合が多い。

物価の高騰を諸色高直(しょしきこうじき)、低落を諸色下直(しょしきげしき)と呼んだ。江戸時代においては米価と諸色は連動すると考えられていたが、米の増産による価格低迷が享保年間には「米価安の諸色高直」の現象を招いた。

米価と諸色のバランスの調整は、いわゆる「三大改革」の一環として必ず取り上げられた問題であった。享保の改革では、米価が下がっているのに諸色が下がらないのは商人達が不当に利益を得ているからだとして価格引下げを命じている。寛政の改革の際には価格監視を目的として江戸町奉行所の与力・同心と町役人による諸色掛(しょしきがかり)が結成されて幕末まで継続されている。天保の改革においては物価吊り上げの元凶とされた株仲間の解散を行ったが、当時の株仲間がこうした行為を組織ぐるみで行っていたという証拠は無く、却って流通の混乱を生じさせて更なる諸色高直を招いた。なお、当時の大坂町奉行阿部正蔵は幕府に対して「諸藩の専売制」「一部商人の不正取引」「抜売買の横行(正規外の流通ルート)」を諸色高直の原因として対策を上申したが、採用されなかった。更に幕末の開国後の貿易は更なる価格高騰を招いた。そこで慶応年間には生活物資の流通機構を半国営化する「諸色会所」構想が唱えられたが、江戸幕府の滅亡によって実現しなかった。


備考
なお当時の対中国向け貿易において、いわゆる「俵物三品」以外の輸出品を諸色と呼称していた。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年09月17日

「アラサー」ターゲットで秋冬物商戦にしのぎ

30歳前後の女性がアラサーと呼ばれている事をはじめて知りました!アラウンドサーティーの略とは、なるほどです。この年代の女性って仕事でもそれなりのポジションでバリバリ働いてる方が多いので、お金も持ってそうだし、おしゃれにかける費用も仕事用、プライベート用にと高そうですもんね。

『参照記事』

アパレル(衣料品)メーカーが「アラサー」と呼ばれる30歳前後の女性をターゲットに、秋冬物商戦にしのぎを削っている。

 1990年代に高校生だったアラサーは、ルーズソックスやポケベル、茶髪などの社会現象を作り出した。成人して社会に出た今でも、ファッションに敏感で、消費意欲も旺盛とされる。団塊ジュニアに次ぐ有力な顧客層として期待が寄せられている。

 アラサーは、1975?79年ごろに生まれた世代を指す。アラウンド・サーティー(30歳前後)を縮めた造語で、女性向けファッション雑誌から生まれ、業界で広く使われるようになった。

 71?74年生まれのいわゆる団塊ジュニア世代の女性が1年当たり100万人弱いるのに対し、アラサーは80?90万人と数は少ないものの、社会に出て購買力が増し、流行を作り出すパワーも強い。